大正5年 | 雑誌「信濃教育」に平林広人の「夏期大学開設の檄」が載る 「財団法人信濃通俗大学会」が東京で発足する。 |
大正6年 | 8月1日信濃木崎夏期大学開講 三部制で21日間行われる 後藤新平来堂 高野槙の開講記念植樹 東久邇宮稔彦王来堂記念植樹 |
大正12年 | 寄宿舎不足に対し、敷地内に平村教員住宅を建設し、夏期大学開講中は宿泊施設として借用する 一部6日間の三部制で18日間開校 |
大正15年 | 郡役所廃止により、事務所を北安曇教育会(大町小学校内)に移し、郡教育会長が事務所長を務め、期間中は郡内校長が事務処理を行う 郡費助成金が廃止されたため、町村より助成金を受けるようになる 開講10周年記念式・記念祝賀会を行う |
昭和4年 | 「信濃木崎夏期大学規定」を定め、講座内容は「自然科学」「社会科学」「人文科学」の三分野となる |
昭和13年 | 信濃鉄道から、講堂その他の施設が無償で提供される 夏期大学の継続開講は信濃通俗大学会と北安曇教育会が、建物の維持管理は大町と平村が共同で組織する財産組合が当たることとなる |
昭和16年 | 長野県より「県外からの夏期大学参加を禁ずる」通牒が出され、一旦は「休講」とするが、伝統を絶やすには忍びないとの決意から、三部のみの2日間、参加者は県内に限るとして開講する |
昭和17年 | 信濃公堂が長野県の健民修練道場となり、夏期大学は大町国民学校(現大町西小学校)に会場を移し、三部と課外講演を開講する |
昭和21年 | 会場を木崎夏期大学に戻し、8月1日に30周年記念式・物故者慰霊祭等の記念行事を行うとともに、8月10日まで開講する |
昭和22年 | 新憲法施行記念講演会開催 |
昭和25年 | 県教育委員会より、教育文化の向上と学術普及貢献の功労を認められ表彰される |
昭和29年 | 大町市制施行に伴い夏期大学が大町市の管理となる |
昭和39年 | 一部3日間三部制とし9日間となる |
昭和40年 | 長野県の文化の向上に寄与したとして「第11回信毎文化賞」を受賞する |
昭和50年 | 寄宿制度が廃止され、宿泊希望者は民宿に分宿する |
昭和51年 | 夏期大学講堂老朽化につき、大町市より使用禁止通達が出る 教育会は使用許可を求め陳情等を行い、教育会が一部修繕して開講準備をする |
昭和53年 | 「信濃木崎夏期大学物語」刊行 白馬岳登山を39年ぶりに復活する |
昭和55年 | 「信濃木崎夏期大学を再建する会」発足 募金活動が開始される |
昭和56年 | 豪雪により夏期大学の施設が大きな被害を受ける 「第1回学際シンポジウム」開講 |
昭和58年 | 施設の老朽化が進み、講師室・事務室 使用不能となる 9月に「信濃木崎夏期大学大講堂修復及び資料館改築工事起工式」を行う |
昭和59年 | 宿泊所の傷みが激しく、炊事場は雪により倒壊 講師は旅館泊となり、食事も業者委託とする 7月講堂修復工事と便所改修工事完了 |
昭和61年 | 開講70周年記念式典・物故功労者慰霊祭等の記念行事を行う NHKで夏期大学の特集番組が放映される |
平成元年 | 5月「再建竣工記念式」挙行 「信濃木崎夏期大学を再建する会」解散 |
平成8年 | 『八十周年沿革概要』『揮毫帳 湖光山色』発刊 80周年記念事業挙行 |
平成9年 | 2度目の「信毎賞」受賞 「信濃木崎夏期大学友の会」発足 |
平成12年 | 「全国地域づくり推進協議会会長賞」「審査委員長賞」受賞 |
平成18年 | 『90周年沿革概要』発刊 90周年記念式典等の記念事業が行われる |
平成19年 | 夏期大学のトイレ水洗化、上下水道供用開始 |
平成26年 | 神城断層地震により信濃公堂も壁の漆喰剥離などの被害を受ける |
平成28年 | 開講100周年記念式・物故功労者慰霊祭等の記念行事を行う 「信濃木崎夏期大学百年誌」刊行 |
令和2年 | コロナ禍により、開講以来初めて休講とする 第104回夏期大学は令和3年に延期 |
令和3年 | 新型コロナウイルスの感染防止対策を徹底し、2年ぶりに第104回夏期大学を開講する。 |
令和4年 | 開講期間を8月1日から8月6日までの6日間とする。 |